2008年 08月 06日
本日は原爆記念日です
たまたま、学徒動員でクラス半分が学校での作業、残り半分が広島駅裏の工場だった。当時広島一中(現在の国泰寺中学、高校の場所)で作業にあたった半分の班はその日に全滅、残りの班にいた父は幸運にも生き延びました。自宅は今のラポールでしたが、疎開していたため戸坂に帰宅。疎開先の息子さんや、同級生を探しに直ちに入市。学校のプールに水を求めた同級生が何人も倒れているのを見たそうです(実際には、父からこの話を聞いたわけでなく、父の同級生 後藤 宏 氏が著書の「ある少年の被爆記録」に、父の描写があったのだが)。
父はやはり今でも多くを語ろうとしない。
今年の式典で、秋葉市長が2年計画で被爆者の心の調査を行うことを公表した。
「ある少年の被爆記録」を読むと、当然これらの記憶には重い鋼鉄の蓋をして仕舞い込みたいだろう、と思う。それを記憶をたどって本にした後藤氏には敬意を払いたい。
鹿児島にある知覧特攻隊記念館。特攻隊員の事実上遺書となった家族への手紙を読むと、涙が止まらない。
なんでこんなことになったのか。
と本を読み、そして遺書を読む我々第三者は、後世の我々であるから、そう感じることができる。
でも当事者はどうだったんだろう。被爆した父を含めた広島市民。明日特攻隊で飛ぶことが決まった少年や青年たち。は、はたしてどうだったんだろう。その目の前の現実を一所懸命に活きるのが全てであったでしょう。
志願した少年や青年らと、全くの一般市民であった被爆した市民とを直接較べることは出来ないだろう。しかしいずれも同時代に生きた、歴史をさかのぼって考えれば同じ時代の被害者であった。
時代のうねり とはなんだろうと この日を迎えるといつも考えさせられ、わからなくなる。
だから
今年の秋は雨か嵐か知らねども 今日のつとめの田草かるなり
という福田首相が内閣改造に引用したことばが 偶然にも気になるのだ。
by rapport_kykohp
| 2008-08-06 11:49
| 世の中のこと